国宝、出雲大社本殿

  • コラム

青銅の神馬

銅の鳥居の左側には青銅の神馬・神牛があり、この神馬には子宝のご利益があるといわれています。銅の鳥居の左側には青銅の神馬・神牛があり、この神馬には子宝のご利益があるといわれています。
子宝を授かる安産の神馬として、その鼻の辺りを撫でながら祈願されます。こうして、1667年に奉納されてから二百年以上にわたる人々の信仰のため、神馬の鼻は神々しいまでに光を放ち輝いています。

国宝 出雲大社本殿

拝殿の奥にあるのが、国宝、出雲大社本殿です。
本殿に祀られているのは大国主命(おおくにぬしのみこと)で、だいこくさまとも呼ばれます。
その創建は記録によると大国主命の功績を称えられた、天照大神の指示により遷営せられたのにはじまるといわれます。 現在の御本殿は延喜元年(1744年)に建てられたもので、高さは8丈(およそ24m)で、これも神社としては破格の大きさですが、かつての本殿は現在よりもはるかに高く、中古には16丈(48m)、上古には32丈(およそ96m)であったいわれてるんですよ~。
「雲太、和ニ、京三」という言葉が平安時代にあったことが知られてるんですが、これは「大きな建築物は出雲大社が日本一で、二番目が東大寺、三番目が京都の大極殿(御所)」という順番を記したものだそうです。そう、出雲大社はかつて東大寺大仏殿をはるかに超える巨大神殿だったことが伝えられているんですね~。
そんなことは伝説にすぎないという声もあったのですが、平成12年に、出雲大社境内遺跡からスギの大木3本を1組にし、直径が約3mにもなる巨大な柱が3カ所で発見されました。これは、 かつての巨大神殿をささえる宇豆柱(うづばしら)と呼ばれてきたものです。直径が最大で約6mもある柱穴には、人の頭の大きさかそれ以上の大きな石がぎっしりと積み込まれ、世界に例のない掘立柱の地下構造も明らかに!
その後、柱材の科学分析調査や、考古資料・絵画、文献記録などの調査などから、この柱は、鎌倉時代前半の宝治2年(1248年)に造営された本殿を支えていた柱である可能性が極めて高くなりました。
現在、出雲大社は平成の大遷宮の真っ最中です。遷宮というのは、古くなった本殿の屋根を葺き替えたりする修理をするんですね。延喜元年(1744年)に建てられた今の本殿は、文化6年(1809年)明治14年(1881年)昭和28年と三回屋根の修理が行われていて、今回の遷宮で4回目になります。

再現模型

出土した柱の大きさや伝承から再現された模型も展示されています。おっきいでしょ~。

十九舎

本殿のまわりはぐるりと一周することができます。本殿の東西に相対して、長屋のような形の建物があって十九舎と呼ばれています。
それぞれ十九の扉がついているんですが、これ、実は神様のホテル。10月は神無月(かんなづき)といいますよね。これは全国の神様が地元を留守にして、出雲大社にあつまってくるからなんです。だから出雲では逆に、10月を神在月(かみありづき)といいます。このとき、全国の神様がお泊りになるのが、十九舎なんです。出雲大社神在祭の期間、旧暦10月10日の夕刻、出雲大社西方の稲佐の浜で全国の神々をお迎えして(神迎祭)から 翌日11日から17日までの1週間(神在祭)は、この社に神様たちがお泊りになるんで、全ての扉が開かれ、おまつりがおこなわれます。

稲佐の浜

神様をお迎えする稲佐の浜はこんな感じで、美しい砂浜がずっとつづきます。夕日が沈む様子はとってもきれいなんですよ~。

真後ろ

真後ろはこんな感じです。 

小さな社

本殿のまわりを取り囲むように、いくつもの小さな社が建っています。